共働き夫婦のご飯日記

yummy, tasty, delicious.

はなだこのたこせんと父

最近なんだか心が落ち着かなくて、ブログを書いては保存し、書いては保存しを繰り返して、更新がなかなかできなかった。
学生時代からずっとSNSと生きてきた私にとって、SNSを更新することで自分の心の状態を自覚したりする。TwitterinstagramYoutube、そしてブログ。写真を撮り溜めたり、加工したりするのに、文章を書き始めるとまとめる元気がないみたいだった。けど今回は書きたくなって、ずっと書き残したいなと思っていたあることについて書こうと思う。


2022年3月、父が他界した。癌だった父だったけど、結局コロナウイルスに感染して亡くなった。63歳だった。
父が亡くなってから、親族と揉め、父の姉家族には大変辛い思いをさせられた。60過ぎた人からあれだけ罵倒されるのも脅迫まがいのことをされるのも、これから先きっとないだろうな。とにかく母と私2人で辛い1年を過ごして、気づいたら1周忌を迎えていた。

「悲しい」タイミングはたくさんあったし、亡くなってから泣くこともたくさんあったんだけど、いろいろあったこの1年は、心から悲しむことができなかったように思う。

なんでこんな急にこのブログを更新しようと思ったかというと、今日曜日にやっている「だが、情熱はある」というオードリー若林さんと南海キャンディーズ山里さんのドラマがきっかけだ。
11話では、オードリー若林さんのおばあさんが亡くなり、その後、お父さんが亡くなってしまう。お父さんが肺の病気で入院し、一時外出している時に、カフェでオードリー若林さんがお父さんに対して、「今幸せ?」と問う。そして、お父さんは「死にたくないと思うくらい幸せかなぁ」と答える。この答えにグッときてしまった。

私の父は先述通り、癌を患っていた。ステージ4でもう抗がん剤の治療しかできなかった。完治することはないのに前向きに向き合う父の姿を見て、最初はポジティブだなと思うだけだったし、相手の気持ちより自分の不安の方が大きかった。大きく感じていた。
ステージ4だったけど、そこから4年ほど治療は続いた。その間にコロナウイルスが蔓延し、会えない時期もあったが、できるだけ会いに行った。癌患者って思ったより元気じゃん!と思うほど、父は元気だった。抗がん剤治療のおかげで風貌は変わってしまったのだけど、お酒は飲むしたばこを吸った。抗がん剤治療のたびにご飯が不味くなるようでその時期は食べられなかったものの、元気な時は元気だった。

元気で前向きな父ばかり見ていたけど、後ろ姿は寂しそうだった。手先や足先に抗がん剤治療の影響が出て、ガサガサ、ボロボロ。明らかに体が悲鳴をあげていた。それでも頑張って抗がん剤治療を受け続け、数値の結果を私に報告してくれた。

人間は生まれてから、誰しもが死に向かっているはずなのに、普通に生きていると死を意識することはあまりない。死にたいと思う日はあるかもしれないけど、明日死ぬかもしれないという恐怖と向き合うことはほとんどない。そんな中、父は1人でその恐怖と4年間も向き合っていた。

「だが、情熱はある」の劇中でオードリー若林さんが父に問いた「幸せか?」。私は問うことはできなかったけど、「父は幸せだったんだろうか?」と思うことはこの1年たくさんあった。そりゃそうだよ、突然亡くなっちゃったんだから。私は結婚して、彼にも会ってもらったし、大阪にも数回来てもらったけど、孫の姿を見せられたわけでも、結婚式で感謝を伝えることもできなかった。亡くなった人に対して思うことは、もう会うことも触れることも話すこともできないんだということ。それは亡くなってすぐ実感した。それまで会える時は会っていたはずなんだけど、やっぱりどれだけ会っても、もう会えないと思うと後悔している自分がいるのはなぜだろう。後悔しても遅いのだけど。


父が大阪に来てくれた時、B級グルメが大好きな父がどうしても食べたいと言ったたこ焼き。大阪のたこ焼き屋さんの中で一番好きなはなだこへ連れて行った。はなだこにはたこせんもあって、私たちはねぎだこを食べた後、たこせんもテイクアウトした。みんなで美味しいねと食べるたこせんはいつもよりも美味しかったように感じた。



久しぶりにあの時ぶりにたこせんを食べた。変わらない味だった。相変わらず美味しかった。